鋸山は天下の険

2002年3月12日

世の中では国公立大学後期2次試験なるものが執り行われている今日この頃、久方ぶりの旅行は奇しくも 千葉へ。


 千葉へ向かうにあたって、東京の人間はどの路線を使うのか?総武快速ユーザーの自分にとってみれば、たとえ内房線だろうが 、外房線だろうが当然総武快速でしょーとなるわけだが、どうも組長の頭の中には京葉線がウヨウヨしているらしい。個人的に は京葉線は純粋通勤路線のイメージであまり好まんのだけれど、集合場所はすでに東京駅地下京葉ホームと決まってしまっている からどうしようもない。

 早朝とはいえどもさすがに平日、急行電車のイスは殆ど埋まっていたが何とか座り、高田馬場へ。 本来ならここからJRに乗るべきなのかも知れないが、パスネットの在庫も抱えているし、何より朝っぱらから東京駅構内を延々 と歩くのは鬱なので馬場からは地下鉄に乗り込む。東西線に揺られること15分、日本橋でさらに日比谷線に乗り換え、八丁堀へ。 ホームの売店で使い捨てカメラを買い、改札へ。実は八丁堀の乗り換えも到底楽とは言いがたいが、東京駅の乗り換えより はましである。券売機で130円の切符を購入し、JRのホームへ。東京行はすぐにやってきたが、それほど混雑はしておらず座る ことができた。まだラッシュは始まっていないのだろうか?などと言ったところで乗るのはたった一駅なのだけれど。

 東京駅に着いたところで、一通りホームを端から端まで歩いてみるが、まだだれも来ていない。人間観察をしながら 階段下で待つ。が、しかしそれにしてもネズミへ行く田舎者でホームは大変に騒がしい。叫ぶ、走る、抱きつく?、大声で歌を 歌う、とまさになんでもありである。しかもマヌケなことにこやつら、皆階段の目の前にある車両にしか乗らないため、1両だけ ぎゅうぎゅう詰めで、隣の車両では酔っ払い?オヤジがロングシートに横になって寝てやがる。こういう連中はいつもなら見てい て頭にくるのだが、今日は大してなんとも思わない。なぜなら今自分の目の前に停車している車両にはこういう連中しか乗ってい ないからだ。そんなことを考えているうちに、徐々に人が集まる。どれも自分にとっては久しぶりな顔ばかりである。結局、自分 以外の参加者は組長、Tam爺、てぐさん、めろ姉、職人嬢、葉純嬢の6人。どういう順番で来たかは忘れたが、葉純嬢がTam 爺のことを、「おじいちゃん、おじいちゃん」と何度も連呼するがごとく呼んでいたのだけは覚えている。全員が集まったところ で、局所ラッシュを避けるために階段から遠い車両へ移動。

 やってきた京葉線の快速に乗り込むと、車内では適当な会話が始まる。自分はたしか、てぐさん と鉄道話をしていたような。海は見えども、何か無機質さを感じる京葉線沿線の風景を眺めながら、快速 電車に揺られること50分弱、8時40分頃に終点蘇我駅の京葉線ホームに滑り込む。蘇我では18きっぷに残りの人の 分、チケッターを押してもらい、すぐにホームへ戻る。そういえば以前130円旅行でここへ来たとき、駅そばでネギを抜いて くれと言ったのに、抜いてくれなかったことがあったなぁ。等と考えているうちに、乗り換える電車はすぐにやってきた。スカ色 (横須賀色の略、といってももはや横須賀線は走ってないが)の113系オンボロ電車のご登場だ。千葉より田舎の区間は直通 快速と成田エクスプレス、ビューの付く特急以外、未だに全て国鉄カラーで抵抗制御で鋼体車だから恐ろしい。ついでにストを やるのも国鉄時代と一緒、とでも言いたいのだろうか?とりあえず当分の間車両を置き換えるつもりはないのだろう、車内は 「まだまだ当分使うぞー」と言わんばかりにリフレッシュ工事が施されていた。

 蘇我から乗った直後はそれなりにいた乗客も五井あたりで多くが降り、さらに木更津、君津で残りの殆どが降りていく。君津で は少々停車時間があったので飲み物を買いに行く。車内では相変わらずとりとめも無い会話が続く。自分はTam爺と「大学入っ たらパソコン買わなくちゃいけないのかなぁー」などというような話をしていたような。蘇我から電車に揺られること50分以上 、君津を越えたあたりで近くに海岸線が迫ってくる。空も青く晴れ渡る春の陽気の中、ガラガラの空気輸送電車に揺られること さらに40分ほど、ついに今日の最初の目的地、浜金谷駅のホームに電車は滑り込んだ。

 まずは全員で一旦改札を出る。 ここでてぐさんは「千倉の菜の花?」を見に行くらしく、18きっぷの一つを持って離脱。他のメンバーは駅前のロータリーで やれ携帯が圏外だ、やれピッチはどーのこーのといった会話をしながら、一応今日の予定などの話をする。と、ここで金谷 郵便局の看板を発見。一応、他のメンバーに「ちょっと郵便局へ」と言ったつもりだったが、どうも聞こえていなかったらしい。 貯金をして戻ると、すでに他のメンバーは国道の方へ向かっていた。海岸線の国道をつらつらとロープウェー乗り場に向かって 歩く。途中、なにやら神社とおぼしきものを発見。拝んでいく。だれかが「これが初詣だー」などと言っていたような気もする。 バチあたりな自分は確か、「アッラーは偉大なり」とかほざいた気がする。さてロープウェー乗り場についた我々を後からやって 来た小学生軍団が急襲する!こっちは先に片道の切符を買っていたのだが、結局たいして急いでいなかったこともあり 小学生軍団が先にロープウェーに乗り込み、自分たちは1本あとに乗り込むことになった。

 鋸山ロープウェーは京成グループらしく、車体にK’SE Iとロゴが入っている。だからどーしたと言われればそれまでだけど 。500円払って揺られること数分、山頂に到着する。山頂は展望台などあり、まあ眺めはよい。遠く三浦半島も一望できる。 標高はそれなりに高いのだろう、フェリーなどもちっぽけに見える。しばし景色を眺めたところで下山の準備をしようという我々 に衝撃の事実がもたらされる。「寺の中を通らないと下山できないらしい。」「通ればいいじゃん。」「拝観料取られるみたい 。」はぁ?行ったっきり戻るには金を払えとおっしゃる、日本寺さんよぉ。ていうか人だけでなく、車の方も有料道路だし。 なんていうか観光客からびた一文でも徴収してやろうと言う根性丸見えです。しかも寺の入口(=下山ルートの入口)には必ず ご立派な関所まで設けてある始末。しかもこの拝観料、600円とロープウェーよりも高い。しかしながらロープウェーで 逆戻りは味気ないというので、結局一人600円を払うことに。払った以上は元を取らねば余計頭にくるのでとりあえず寺の中を 見てまわる。ただ、寺の中と言っても山そのものが寺なため、やってることは実質ハイキングと変わらんが。違うのは観音様だとか いわくつきのものだとかがそこらへんに点在しているという点だけだろう。地獄のぞきなどする愚か者もいた。その後、本格的な 下山を開始し、ロープウェーのある金谷とは反対側の保田側に下りてきた。下山後少々道に迷ったり、途中でStand By Meごっこ などしながらも無事、保田駅前に到着した。

 保田ではまず、駅前にある怪しげなスーパー、「ニコニコ小売市場」が一同の注目を集める。他のメンバーがこのスーパーの中 を物色している間に自分とお金を下ろす必要のあるめろ姉は郵便局に向かう。途中、道に迷いまくるも地元のおばあちゃんに案内 してもらい、なんとかたどりつく。無事貯金を済ませたところで、駅に戻る。駅に戻ったところで昼飯をどうしようかということ になり、駅前の店数店が候補に上がったが時は折りしも空前の「ムネオブーム」、鈴木さんに悪い人はいないということで 候補に挙がったうちの一店、「鈴木屋」(鈴木堂または鈴木亭だったかもしれない)の暖簾をくぐった。くぐったところで明かり は点いていないし、なかなか人が出てこない。商売する気があるのか甚だ疑問だ。さらに驚いたことにこの店の主人、注文をと ったところでおもむろに野菜、肉などを取り出し切り始めた。まさにオーダーメイドというか、なんというか。味の方はまあ、 うちの生協よりはましという程度だったが、作り方が作り方だけに当たり前と言えばそれまでだが大変暖かかったので まあよしとしよう。早めに食べ終わった組長は奥に土産物を見に行っていたような。そういえば食事中にめろ姉と爆弾に ついて話をした気がする。なぜだろう。

 食事を終えた一行はてぐさんとも合流し、保田駅の改札をくぐる。やってきた電車は行きとおなじ113系電車だが、車内は 空気輸送どころか学生で混雑している。下校時間帯にぶつかってしまったのだろうか?車内はなかなか空く気配も見せず、微妙に 一番後ろの2人掛けロングシートなど占拠しつつ木更津へ向かう。木更津からは久留里線に乗るわけだが、この久留里線、南関東 のJRでは唯一の非電化区間。車両はオールロングシートの通勤用ディーゼルカー、キハ30系で味気ないがとりあえずディーゼ ルカーというだけで旅行気分が高まるのは自分だけだろうか。16時30分前、一行とイスが殆ど埋まるくらいの旅客を乗せた 久留里線のディーゼルカー3両編成は出力の弱いディーゼルエンジンをフル回転させながら、死ぬほど悪い加速力を我々に アピールしつつ、木更津駅を発車した。木更津駅を出て、右に曲がるとしばらくの間大きな道路と並走するのだが、当然車に 次々と抜かれていく。久留里線というとローカル線のイメージが大変に強かったのだが、途中の上総清川あたりまでは線路脇まで 住宅が広がっているところも多く、意外と開けていた。ただ、こういった家の住民がそのまま利用客になるというわけではないら しく、降りていく客の数は家の多少に関わらず、どこの駅でも2、3人といったかんじか。ローカル線は始発から2、3駅で ドカっと人が降りたりと、特定の駅に乗降客が集中する傾向があるが以外にも久留里線はこれにあてはまらないらしい。事実、 自分たちと一緒に久留里以遠まで乗る客もそれなりにいた。そんなこんなでディーゼルカーに揺られること1時間少々、17時 30分すぎに終点、上総亀山に到着した。

 上総亀山駅前は何も無い。観光案内所とおぼしき建物もあったが、閉まっていたようだ。タブレット閉塞でなければまず間違 いなく無人駅であろう上総亀山駅を、結局滞在時間わずか20分弱で去ることになった。日の完全に落ちた上総地方を再び ディーゼルカーに揺られて移動すること1時間少々、また木更津駅に舞い戻ってきた。木更津駅ではなぜか券売機でSuicaの履歴を 印字する人がいたり、またSuicaで切符を購入するとICと表記されるということも発見したりもした。時間が時間なので食事を する場所を探そうということになった。とりあえず地図で見る限り、栄えているのは駅の西側なので西口へと向かう。が、しかし 西口駅前の「木更津そごう」は倒産閉店中。駅前から続く商店街もアーケードは立派だが、シャッターを閉じている店が殆どで シャッター商店街化が著しい。地域の発展を願って造った東京湾アクアラインによって逆に買い物客などを対岸の横浜などに 持って行かれた、かつての商都、木更津の哀れな末路である。坂出、宇多津の二の舞と言えばそれまでかもしれないが。結局、 西口では食べられるところがみつからず、東口へも出てみたが目立つのはサラ金の看板くらい。しかたなく木更津での食事は断念 し、千葉へ向かうことにする。千葉ならば食べるところには困らないだろうという考えによるものであった。

 日頃の行いがよろしいおかげか、総武線直通の快速電車がすぐにやってきた。これに揺られる こと40分弱、千葉県の県都千葉市の玄関口、千葉駅に到着したのはよかったが、ここも相当食べるところが無い。その後千葉に 通うようになって思うのだが、千葉駅前というのははっきりいってサラリーマンのためだけの街であり、遊ぶところ、食べるとこ ろの少ない味気ないところだと思う。食べるところの選択肢ならば西千葉の方がはるかに豊富だ。結局、成金趣味の激しい千葉 そごうのレストラン街で食べることになり、ジャンケンに負けたTam爺(だったはず)が選んだのは「そごうファミリー レストラン」。外装の成金趣味から想像されるような高さではないが、普通のファミレスよりは少々高めの値段設定だ。

 食事を終えた一行は千葉駅に戻り、快速電車に乗り込む。ここからは完全に帰宅ルートに突入 となるが、自分たち以外に殆ど乗客のいない車内ではあいかわらずとりとめもない会話に華が咲く。あっというまに東京駅の 地下ホームに到着。職人嬢が高速バスに乗って帰るというので、八重洲口へ。全員で一旦改札を出て、職人嬢に別れを告げた後、 再び駅の中に戻って中央線ホームへ。この先はあまり記憶に無いのだが、葉純嬢が山手線に乗りたくないので埼京線に乗る と言い出したので、確か全員で新宿駅南口の改札を出て、Tam爺と葉純嬢に18きっぷを渡し、西武新宿線組の自分、組長、 てぐさんは西武新宿駅まで歩いたのだった思う。組長はさらにこのあと計画されている水郡線計画の人集めの電話をかけていた ような。そんなこんなで受験によりほぼ1年ぶりとなった久方ぶりの旅行は終了したのであった。ちゃんちゃん。

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